ぴょろりずむ ~本から学ぶ~

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心の傷から目を背けてはいけない!世界中で共感される理由 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹著)

村上春樹の小説を読むと、部分的にではあるがついつい2度、3度と読み返してしまう。適当にページを開いて、1~2ページ読み返してみるだけでも、主人公の空想の中で出てくるメタファーと物語のクライマックスとの繋がりに気付かされたり、登場人物の投げかける気の利いた警句の意味するものを考えさせられたりする。下手すると半日ぐらいは、そんなことで時間を費やしてしまうことになる。また、それが無粋なことであり、徒労であると分かっていながらも、何か自分なりの考察を加えたくなってしまう。

 

平凡ではあるが、穏やかな生活、些細な幸せも感じつつある主人公のつくるは、過去に負った心の傷のせいで、今もなおある種のわだかまりを抱えていた。交際し始めた彼女との関係を、前に進めるために、また、自分自身を取り戻すためにも、彼女の助言に従い、つくるは巡礼の旅に出る。

人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底になるものなのだ。

 これは、つくるがこの旅によって、すべてを受け容れた結果、魂の一番奥底で理解したことだ。

また、主人公を通じて、身近なところでは、日常生活において人間関係や過去のトラウマに悩む人々、そしてもっと広い視点では、紛争が絶えない国々や大災害に襲われた地域で必死で生き抜く人々に贈られたメッセージであるともとれる。

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても。」

特に日本国内では東日本大震災の爪痕も至るところに残り、復興への道のりも遠く険しい状況であり(本書の初版は2013年4月)、この問題にも改めて目を向けるきっかとなった。

 

一方、こんな視点でも少しだけ考えてみた。 

つくるは、夢の中で一人の女性を何よりも強く求めていた。彼女は肉体と心を分離することができる。そして、そのどちらかなら差し出せるという。肉体か心か。その両方を手に入れることは出来ない。しかし、つくるが求めているのは、彼女のすべてであり、どちらか半分を別の男に渡すことは出来ないと思う。それは耐え難いことであり、それならどちらも要らないと、言いたいが、それが言えず、前にも進めず、後にも引けない。・・・というような場面がある。

 

実は、ここで出てくる「肉体」と「心(精神)」という二分法的な概念も、この小説の中では重要な意味を持ち、明らかにされない結末や、謎のままで終わるいくつかのサブストーリーの解を見出すヒントになるのではないだろうか。

また、主人公つくると高校時代の友人たち(シロ、クロ、アカ、アオ)、学生時代の友達(灰田)、今の彼女(沙羅)との関係は、どれも健全であるが歪(いびつ)でもある。これらを通じて、ジェンダーセクシュアリティについても、考えさせるものがある。

 

さらに、この夢の場面の後には、「嫉妬」について語られている。「嫉妬」は負の感情の連鎖をもたらすトリガーであり、誰にでも芽生える感情でもある。しかし、良好な人間関係を築き、いつも幸せを感じていたいのであれば、この感情だけは抱かないに限る。

日本の社会を少しでも住みやすくするためにも、さらには、少し大袈裟だが、平和な世界を築いていくためにも、意識すべきキーワードだと思い、以下引用しておきたい。

嫉妬とは ーつくるが夢の中で理解したところでは- 世界で最も絶望的な牢獄だった。なぜならそれは囚人が自らを閉じ込めた牢獄であるからだ。誰かに力尽くで入れられたわけではない。自らそこに入り、内側から鍵をかけ、その鍵を自ら鉄格子の外に投げ捨てたのだ。そして彼がそこに幽閉されていることを知る者は、この世界に誰一人いない。もちろん出ていこうと本人が決心さえすれば、そこから出ていける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しかしその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質なのだ。

 

 最後に・・・

本書を読みながら、フランツ・リストの「巡礼の年」という曲集(第1年スイスの中にある『ル・マル・デュ・ペイ』他)を聴いてみたり、巡礼の旅の行き先でもあるフィンランド「ハメーンリンナ」の街をネットで画像検索してみたり、エルヴィス・プレスリーラスヴェガス万歳!』が登場人物の一人の携帯電話の着信音になっている意味について想いを巡らせたり、と寄り道も大いに楽しむことが出来た。私にとっては、これも村上春樹の小説の楽しみ方の一つである。

 

リスト:巡礼の年(全曲)

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ラスベガス万才~青春カーニヴァル

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