「悔いのない人生」 ~死に方から生き方を学ぶ「死生学」(齋藤 孝 著)
著者は40代で体調を崩したことをきっかけに、自らの「死」について思いを馳せるようになり、様々な書物を読み返したりするうちに、一つのことを確信したという。
「『死』を考えることは、とりもなおさず『生』を考えることだ。」
人生が有限のものであると意識してこそ、初めてよりよく生きようとする意志が生まれてくる、というのはよく分かる。既にその感覚を多少なりとも経験した方もいるだろうし、既に達観した視点を持った方もいるだろう。
本書は、ある程度人生経験を重ねた人の方が、共感しやすいかもしれないが、比較的若い世代にも大いに参考になるのではないかと思う。死を意識する、あるいは死について考えることで、いまをより大切に生きる、というのはごく当たり前のことだが、日々の生活の中では意外と見落とされがちなことかもしれない。このことを若いうちからしっかりと意識して生きていければ、まさに本書の題名通り「悔いのない人生」をおくることが出来るのではないだろうか。
本書の中で取り上げられている「葉隠」は、「武士道とは死ぬことを見つけたり」という言葉が有名だが、三島由紀夫は、その解説本として記した「葉隠入門」の中で、「この言葉はこの本全体を象徴する逆説である」と述べているそうだ。死ぬことを意識するから、生きる力が生まれてくる。
「死に方について語っているようでいて、実はどう生きるべきかを指南している」(著者)というわけである。
「一瞬一瞬を大切に生きよ」とも説いているが、これはまさに禅の思想と共通する。過去にとらわれるのでもなく、未来を思い煩うのでもなく、いまこの一瞬を生きる。本当に大切なことだと、つくづく思う。
また、著者は「いま生きているこの一瞬を大切にしなさい、という教えは、ニーチェの著書『ツァラトゥストラ』の中にも触れられている」と指摘している。
「この瞬間を見よ。この瞬間という門から、一つの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。」
つまり、いまこの瞬間を肯定できるならば、人生を全肯定できるようになる、ということを表している。それにしても、東洋も西洋も関係なく、またいつの時代も人生で大切なことは、結局は同じようなことであることは今更ながらではあるが興味深い。
禅の思想が出てきたところで・・・
「日本人は伝統的に呼吸法を大切にしてきた。弓道、茶の湯、尺八・・・等、あらゆる日本の武道や芸事は禅に通じている。鎌倉時代から江戸時代ぐらいまでの人々は、坐して心を落ち着かせ、自分自身を取り戻すという身体感覚を身につけていた。この身体感覚が失われたことが現代人の心の不安定さの一因となっているのではないか」といようなことを著者も指摘している。
ヨガに始まり、瞑想、マインドフルネス、そしてまさに坐禅それ自体が流行っていることからも頷ける。
以上、ごく一部だけを紹介したが、著者は他にも貝原益軒の「養生訓」やV・E・フランクルの「夜と霧」等の古典を紐解きながら、現代社会でよりよく生きるためのヒントを探っている。本書の中で紹介されている古典や名著に関しては、是非とも原書を読んでみたいところだ。
【本書の中で紹介されている古典・名著】
第1章 死の孤独から距離を置くために
第2章 悔いのない最後を迎えるために
『葉隠』~現代にも役立つ武士の死生観
第3章 老いと上手に付き合う
貝原益軒の『養生訓』~長寿社会における真の養生とは何か
第4章 病とともに生きる
正岡子規の「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」
~病を得たからこそわかる価値
第5章 その瞬間まで精神を保つ
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
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第6章 遺された人々のために
~家訓に学ぶ現代にも通じる遺言の心得
第7章 死者の魂に思いを馳せる