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ぴょろりずむ ~本から学ぶ~

読んだ本、読みたい本、読むべき本を紹介していきます。

「悔いのない人生」 ~死に方から生き方を学ぶ「死生学」(齋藤 孝 著)

著者は40代で体調を崩したことをきっかけに、自らの「死」について思いを馳せるようになり、様々な書物を読み返したりするうちに、一つのことを確信したという。

「『死』を考えることは、とりもなおさず『生』を考えることだ。」

 

 人生が有限のものであると意識してこそ、初めてよりよく生きようとする意志が生まれてくる、というのはよく分かる。既にその感覚を多少なりとも経験した方もいるだろうし、既に達観した視点を持った方もいるだろう。

本書は、ある程度人生経験を重ねた人の方が、共感しやすいかもしれないが、比較的若い世代にも大いに参考になるのではないかと思う。死を意識する、あるいは死について考えることで、いまをより大切に生きる、というのはごく当たり前のことだが、日々の生活の中では意外と見落とされがちなことかもしれない。このことを若いうちからしっかりと意識して生きていければ、まさに本書の題名通り「悔いのない人生」をおくることが出来るのではないだろうか。

 

本書の中で取り上げられている葉隠は、「武士道とは死ぬことを見つけたり」という言葉が有名だが、三島由紀夫は、その解説本として記した「葉隠入門」の中で、「この言葉はこの本全体を象徴する逆説である」と述べているそうだ。死ぬことを意識するから、生きる力が生まれてくる。

 「死に方について語っているようでいて、実はどう生きるべきかを指南している」(著者)というわけである。

「一瞬一瞬を大切に生きよ」とも説いているが、これはまさに禅の思想と共通する。過去にとらわれるのでもなく、未来を思い煩うのでもなく、いまこの一瞬を生きる。本当に大切なことだと、つくづく思う。

また、著者は「いま生きているこの一瞬を大切にしなさい、という教えは、ニーチェの著書『ツァラトゥストラ』の中にも触れられている」と指摘している。

「この瞬間を見よ。この瞬間という門から、一つの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。」

 つまり、いまこの瞬間を肯定できるならば、人生を全肯定できるようになる、ということを表している。それにしても、東洋も西洋も関係なく、またいつの時代も人生で大切なことは、結局は同じようなことであることは今更ながらではあるが興味深い。

 

 

禅の思想が出てきたところで・・・

「日本人は伝統的に呼吸法を大切にしてきた。弓道茶の湯、尺八・・・等、あらゆる日本の武道や芸事は禅に通じている。鎌倉時代から江戸時代ぐらいまでの人々は、坐して心を落ち着かせ、自分自身を取り戻すという身体感覚を身につけていた。この身体感覚が失われたことが現代人の心の不安定さの一因となっているのではないか」といようなことを著者も指摘している。

ヨガに始まり、瞑想、マインドフルネス、そしてまさに坐禅それ自体が流行っていることからも頷ける。

 

以上、ごく一部だけを紹介したが、著者は他にも貝原益軒の「養生訓」やV・E・フランクルの「夜と霧等の古典を紐解きながら、現代社会でよりよく生きるためのヒントを探っている。本書の中で紹介されている古典や名著に関しては、是非とも原書を読んでみたいところだ。

悔いのない人生 死に方から生き方を学ぶ「死生学」 (SB新書)

悔いのない人生 死に方から生き方を学ぶ「死生学」 (SB新書)

 

 

【本書の中で紹介されている古典・名著】

第1章 死の孤独から距離を置くために

吉田松陰の『留魂録』~処刑前日に書き終えた鎮魂の叫び 

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

 

 

 第2章 悔いのない最後を迎えるために

葉隠』~現代にも役立つ武士の死生観 

葉隠 (講談社学術文庫)

葉隠 (講談社学術文庫)

 

 

第3章  老いと上手に付き合う

貝原益軒の『養生訓』~長寿社会における真の養生とは何か 

養生訓 (講談社学術文庫)

養生訓 (講談社学術文庫)

 

 

第4章 病とともに生きる

正岡子規の「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」

~病を得たからこそわかる価値 

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)

 

 

第5章 その瞬間まで精神を保つ

V・E・フランクルの『夜と霧』、『きけわだつみのこえ』他  

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

第6章 遺された人々のために

西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』ほか

~家訓に学ぶ現代にも通じる遺言の心得 

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

 

 

第7章 死者の魂に思いを馳せる

最古の文学『古事記』から宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』まで 

現代語古事記: 決定版

現代語古事記: 決定版

 

  

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

不透明な時代だからこそ先を見通す力を養いたい! 「自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議」(出口治明・島澤諭 著)

出口治明氏の著書を読むといつもこの先の人生や仕事を「下支えする力」を養っていくことの重要性を感じさせられる。

 

本書が読者に伝えたいメッセージは、日本の将来を担っていく子や孫の世代のために、我々ひとりひとりが先を見通す力を養っていこう、また、様々な問題を他人事ではなく自分事と考えて、自分の影響を及ぼせる範囲から少しずつ変えていこうということではないだろうか。

 

「これからの日本が適切な道を選択し、歩んでいくにはどうすればいいのか」という大きなテーマを議論するにあたって、「あなたならどうするか」「個人はどう動いていくべきか」という自分事に引き寄せて考えていきたいと思っています。こうした混迷の時代でも、自分の半径5mの世界から変えていくことが、結局は早く世界を変えることにつながると思うのです。

 

出口氏は、「何事にあたってもまずは『数字』にあたり、『ファクト』を基に『ロジック』を組み立てることが大切」と強調している。一方、残念ながら日本人は長年それをしてこなかった。なぜか?それは、「1940年体制」と呼ばれる戦後の枠組みのせいである。1940年体制とは、終身雇用や年功序列など、日本型経営の原型が形成され始めた時期でもあり、この体制は戦後も受け継がれ、高度経済成長の日本社会に見事に適合した。こうして日本は冷戦構造下アメリカをキャッチアップモデルとして人口増加を追い風に高度成長を遂げた。

しかし、現在はその状況は全て変わり、日本は「課題(少子高齢化財政再建等)先進国」となっている。人口増、経済成長等の前提条件が大きく変化した今、まさに我々は「どんな国をつくるのか」というのをもう一度ゼロベースで考えなければならない。しかも、自ら考えていくしかない。だから、前述の「数字・ファクト・ロジック」がますます大切になってくる。それでも結論が出ない場合には「直観」で勝負することになるが、それは当てずっぽうとは全く異なる、脳が無意識の部分をフル回転させて編み出した答えなので、これまで蓄積してきた知識と経験が物を言うことになる。そういった意味で、やはりインプットの絶対量を増やすことも大事で、出口氏は「人・本・旅」が最良の手段だと言っている。

 

本書の中盤以降は、ガラパゴス的に進化した日本の人事システムや生産性向上の阻害要因ともなっている「残業」や「根拠なき精神論」を否定しながら、今後日本が生産性を高めていくためにはどうすればよいのか、という展開となっていく。例えば、エイジフリーで働ける社会(定年制の廃止等)は労働の流動化を生み出し、ダイバーシティは組織を活性化させる。また、日本の再生を握るのは「教育」であるとし、教育への予算が不足していること、学生がもっと勉強する仕組みやインセンティブの必要性等を指摘している。

 

ところで、就職活動で「コミュニケーション能力」と「人間力」といったものを企業の採用担当者が重視する風潮はますます強まっているようだが、出口氏はそれをまったくナンセンスだと否定している。たかだか数回の面接で、その人のコミュニケーション能力や人間力がわかるとは思えない。大学生は勉強が一番大事なので、成績を重視した採用を行うべきだとしている。このあたりは多少極端な印象を受けるかもしれないが、個人的にはとても良く分かる気がする。本当に優秀な学生は、自分が選んだ分野で実績を残していることが多いし、そういう学生こそがポテンシャルの高い人材なのではないだろうか。

 

「人口問題」については、日本が抱える種々の問題の根源になっており、これを解決しない限り、国内のマーケットは縮小が続き、税制や社会保障制度の見直しも余儀なくされる。フランスの出生率を向上させたシラク三原則」が紹介されており、政策の必要性とともに、働き方の改革、移民受け入れ問題、世代間格差等にも言及している。

 

 

日本を再生するリーダー像に関しては、ポピュリズムなどに惑わされずに、毅然とした姿勢で社会を動かしてほしい。」と述べている。

 

 

また、リーダーについては以下のように整理している。

 

【リーダーの本質的な役割】

明確なビジョンを持ち、そのビジョンを自分の言葉で周囲に伝えて共感を得ること。

 

【リーダーに必要な3要素】

1.何がやりたいのかが明確である。

2.目的を遂行するために必要な仲間を集めることができる。

3.目的達成に向けてチームをまとめ、困難な時でもみんなを引っ張っていく力がある。

 

最後に・・・

半径5mから世界を変えていくには、この世界をどう理解し、どこを変えたいと思い、今のポジションで自分に何が出来るかを考え、行動することが何よりも大切です。それが人間の生きる意味であり、仕事をする理由でもあるからです。

  

自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議 (SB新書)

自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議 (SB新書)

 

 

 

心の傷から目を背けてはいけない!世界中で共感される理由 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹著)

村上春樹の小説を読むと、部分的にではあるがついつい2度、3度と読み返してしまう。適当にページを開いて、1~2ページ読み返してみるだけでも、主人公の空想の中で出てくるメタファーと物語のクライマックスとの繋がりに気付かされたり、登場人物の投げかける気の利いた警句の意味するものを考えさせられたりする。下手すると半日ぐらいは、そんなことで時間を費やしてしまうことになる。また、それが無粋なことであり、徒労であると分かっていながらも、何か自分なりの考察を加えたくなってしまう。

 

平凡ではあるが、穏やかな生活、些細な幸せも感じつつある主人公のつくるは、過去に負った心の傷のせいで、今もなおある種のわだかまりを抱えていた。交際し始めた彼女との関係を、前に進めるために、また、自分自身を取り戻すためにも、彼女の助言に従い、つくるは巡礼の旅に出る。

人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底になるものなのだ。

 これは、つくるがこの旅によって、すべてを受け容れた結果、魂の一番奥底で理解したことだ。

また、主人公を通じて、身近なところでは、日常生活において人間関係や過去のトラウマに悩む人々、そしてもっと広い視点では、紛争が絶えない国々や大災害に襲われた地域で必死で生き抜く人々に贈られたメッセージであるともとれる。

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても。」

特に日本国内では東日本大震災の爪痕も至るところに残り、復興への道のりも遠く険しい状況であり(本書の初版は2013年4月)、この問題にも改めて目を向けるきっかとなった。

 

一方、こんな視点でも少しだけ考えてみた。 

つくるは、夢の中で一人の女性を何よりも強く求めていた。彼女は肉体と心を分離することができる。そして、そのどちらかなら差し出せるという。肉体か心か。その両方を手に入れることは出来ない。しかし、つくるが求めているのは、彼女のすべてであり、どちらか半分を別の男に渡すことは出来ないと思う。それは耐え難いことであり、それならどちらも要らないと、言いたいが、それが言えず、前にも進めず、後にも引けない。・・・というような場面がある。

 

実は、ここで出てくる「肉体」と「心(精神)」という二分法的な概念も、この小説の中では重要な意味を持ち、明らかにされない結末や、謎のままで終わるいくつかのサブストーリーの解を見出すヒントになるのではないだろうか。

また、主人公つくると高校時代の友人たち(シロ、クロ、アカ、アオ)、学生時代の友達(灰田)、今の彼女(沙羅)との関係は、どれも健全であるが歪(いびつ)でもある。これらを通じて、ジェンダーセクシュアリティについても、考えさせるものがある。

 

さらに、この夢の場面の後には、「嫉妬」について語られている。「嫉妬」は負の感情の連鎖をもたらすトリガーであり、誰にでも芽生える感情でもある。しかし、良好な人間関係を築き、いつも幸せを感じていたいのであれば、この感情だけは抱かないに限る。

日本の社会を少しでも住みやすくするためにも、さらには、少し大袈裟だが、平和な世界を築いていくためにも、意識すべきキーワードだと思い、以下引用しておきたい。

嫉妬とは ーつくるが夢の中で理解したところでは- 世界で最も絶望的な牢獄だった。なぜならそれは囚人が自らを閉じ込めた牢獄であるからだ。誰かに力尽くで入れられたわけではない。自らそこに入り、内側から鍵をかけ、その鍵を自ら鉄格子の外に投げ捨てたのだ。そして彼がそこに幽閉されていることを知る者は、この世界に誰一人いない。もちろん出ていこうと本人が決心さえすれば、そこから出ていける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しかしその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質なのだ。

 

 最後に・・・

本書を読みながら、フランツ・リストの「巡礼の年」という曲集(第1年スイスの中にある『ル・マル・デュ・ペイ』他)を聴いてみたり、巡礼の旅の行き先でもあるフィンランド「ハメーンリンナ」の街をネットで画像検索してみたり、エルヴィス・プレスリーラスヴェガス万歳!』が登場人物の一人の携帯電話の着信音になっている意味について想いを巡らせたり、と寄り道も大いに楽しむことが出来た。私にとっては、これも村上春樹の小説の楽しみ方の一つである。

 

リスト:巡礼の年(全曲)

リスト:巡礼の年(全曲)

 

 

ラスベガス万才~青春カーニヴァル

ラスベガス万才~青春カーニヴァル

 

 

 

「東大生が知っている!努力を結果に結びつける17のルール」(清水章弘著)

本書は「努力を無駄にしないための方法論」を著者自らの体験談も交えながら、テーマ(1~17までのルール)毎に整理されており、とても分かりやすい内容になっている。

 

個人的には、第17のルールである「五感」を鍛える、を大切にしたい。それは私自身、軽い運動をしたり、日光をよく浴びると、脳が活性化し、ストレスも軽減するし、脳が身体を支配するのではなく、「身体が脳を支配する」という感覚を常に持っているからだ。

 

本書の中で、養老孟司さんとC・W・ニコルさんの対談本である『「身体」を忘れた日本人』(山と渓谷社)が紹介されているが、この本も是非読んでみたい。

やはり、五感を鍛えるには、太陽の光が降り注ぎ、川のせせらぎが聞こえる、緑の深い森の中を散歩したりする方が、神経が研ぎ澄まされる感覚を味わえると思う。また、太陽の光を浴びることは、体内にセロトニンが分泌され、睡眠の質を高めてくれる効果もある。その結果、日中の意欲や実行力、さらには忍耐力も高まることは、経験上もほぼ間違いないし、このことは科学的にも証明されている。

 

また、著者は、「背伸びしてでも、本物や一流と一緒に生活することで、少しでも感性を磨こうとしている。」と言っている。私も、なるべく美術館に通い、生で名画を鑑賞したり、クラシックコンサートに出かけてみたり、ジャズライブでピアノやサックスの生の演奏を聴いてみたり、プロスポーツの試合を観に行ったり、たまには一流のレストランで食事をしてみたり、それなりのワインを買ってみたり、と「本物」に触れる時間を意識して作り出すよう努めてきた。そんなこともあり、収入の一定割合を費やしてきた活動が、本書により肯定されたような気がする。

 

本書の前半部分は、学生や新社会人には、参考になる内容だと思う。本書に書かれているようなことを素直に実践していけば、勉強は苦にならず、むしろ楽しいものになるだろうし、それによって「学び」が「成長」につながっていくのではないだろうか。

 

《本書の目次》

第1のルール   枠を飛び出す

第2のルール   自分の居場所は自分で作る

第3のルール   文句があるならルールを変える

第4のルール   「やらないこと」を決める

第5のルール   単調な勉強はゲーム化する

第6のルール   「一番できる人」を観察する

第7のルール   前日は、新しいことをやらない

第8のルール   当たり前のことを徹底する

第9のルール   生活リズムを一定にする

第10のルール  「すぐ・その場で」やる

第11のルール  本は感謝しながら読む

第12のルール  インプットのスピードを上げる

第13のルール  量だけでなく、幅が大切

第14のルール  メンターを見つける

第15のルール  「偶然」を楽しむ

第16のルール  タフな心と身体を作る

第17のルール  「五感」を鍛える

 

 

東大生が知っている! 努力を結果に結びつける17のルール

東大生が知っている! 努力を結果に結びつける17のルール

 

 

 

活字中毒になってみる?ブロガー必読の一冊! 「多読術(松岡正剛著)」

松岡正剛の千夜千冊」というサイトを初めて覗いてみた時に衝撃を受けた。どうやったら1冊の本をここまで深く読み解くことが出来るのか・・・? 一見全く関連性の無い分野の本であっても、彼の中では有機的に結びついており、分野を超え、時代を超え、それらを自由自在に織り交ぜてくる。まさに「知の巨人」である。その膨大な読書量と密度(濃厚さ)、さらには読書で得た知識を「編集」する力の秘密を知りたくて、読んでみたのが本書だ。(正確には、2010年12月に一度読んでいたので、今回は再読になる。) 

 

「知の巨人」は、どんな読書法を参考にしたのか?

本書では、実に数多くのスキルとしての読書法が紹介されているのだが、ここでは著者自身も参考にしたという、兵庫県但馬に「青谿書院」を開いた池田草庵の方法を挙げておきたい。(のちに吉田松陰も真似した読書法だと言われている。)

「掩巻(えんかん)」・・・書物を少し読み進めたら、一旦本を閉じて、その内容を追想し、頭の中ですぐにトレースしていくという方法。

「慎独(しんどく)」・・・読書した内容を独り占めせずに、必ず他人に提供せよ、という方法。(読んだ本をブログで取り上げるのも、この読書法のひとつと言えるだろう。)

  

なぜ読書をするのか?

読書は「わからないから読む」それに尽きます。わからないから読みたい。旅と同じ。「無知から未知へ」の旅。パンドラの箱を開けるべく、その鍵(入れるのが読者)と鍵穴(書物)の関係のプロセスに入ること、と表現されている。

「役に立つ読書とは?」と、つい聞きたくなってしまうが、これは愚問なのだろう。著者によると、それは「役に立つ人生って何か?」と聞くようなものであり、そんなもの、人それぞれだ、ということになる。むしろ、「読書は毒でもある」ということを認めていった方が、かえって読書は面白くなるというのだ。(本は背信もする、裏切りもする、負担を負わせもする、それが読書、だから面白い・・・と。)

 

 読書は「自分の鏡」だという説もありますが・・・?

本書は対談形式になっている。この質問に対して著者は、「もちろん読書は自分を映す鏡です。」と答え、免疫学(ジェンナー)や精神医学(ジャック・ラカン)等に関する書物を用いながら、その鏡像性について解説する。そのうえで、著者の感覚としては、むしろ「水たまり」とか「小さな池」だとする。「そこを覗くと大きな青い空とか、近くの建物とかが映っている。小さな池でも、覗く角度で大空も入るわけです。もっと真上から覗くと、自分の顔が映る。」

こんな具合に一流のアスリートだけが理解出来るような感覚的な表現が、本書の中には散りばめられている。

 

キーブックとは?

「知の巨人」ならではの表現であり、深すぎてよく分からないような気もするが、何となく分かるような気もする。

このキーブックをもとに最大公約数や最小公倍数という束が出来上がっていく。建築家のクリストファー・アレグザンダーは、それを「セミラティス」と呼んだ。分かりやすく言えば、「柔らかい束」あるいは「柔らかい重層構造」ということで、いきいきとした構造は何本もの結節点が相互につながりあっていて、どの方向にも進みうる。いくつものキーブックが結節点になって、柔らかい系統樹を示しているはず。ただ、それはラティス(束)ができてから、あとで気が付くことが多い。そのうち勘ができて、これがキーブックだなと思えるようになる。・・・ということらしい。

(ちなみに松岡正剛流のキーブックとして、ウェブ「千夜千冊」を全集「千夜千冊」(全7巻)に再編成した時の巻立て、章立て毎に数冊ずつ紹介している。ここでは割愛するが、いかにも難解で読み応えのありそうな本が列挙されている。未読のものについては、是非チャレンジしてみたい。)

 

読書する上での基本スタンスは?

読んだ本が「当たり」とは限らない。むしろ『はずれ』の方が多いかもしれない。でも、それが読書の出発であり、何か得するためだけに読もう、というのではダメ。そういうものじゃない。

まさにその通りだと思う。あまり本を読まない人ほど、手に取った本が「当たり」であることを過度に期待する傾向がある。また、自省の念も込めて言えば、何かを得るためだけに行う読書は、後で振り返ってみると浅薄なものであったということも多い。しかし、だから読む意味が無い、というわけでもなく、そういったことを経験することも必要なのだろう。まさに人生と同じである。本書でも冒頭で「多読と少読はつながっていて、本質は同じ」とし、「少読がしだいに多読になるのではなく、多読によって少読がより深まるということもありうるわけで、そこが読書のおもしろいところだ。」と言っている。

 

 最後に

本書は、本を多く読んでいる人にとっては、さらに読書の多様性を知ることにつながり、あまり本を読まない人にとっても、自分にあった読書スタイルを見出すきっかけとなる、そんな一冊である。また、ご覧になったことが無い方には、あわせて著者のウェブサイトである松岡正剛の千夜千冊」も一度覗いてみることをお勧めしたい。

 

多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

アベノミクス?クールジャパン?ジブリ?AKB?世界ではこう戦え! 「創造力なき日本」~アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」(村上隆著)

アート業界の第一線で、しかも世界を舞台に活躍し続ける著者によるさまざまな指摘や提言は、個人の力を最大限に発揮する方法論であり、また、芸術以外の仕事に就く多くの者にとっても「道しるべ」となりうる。

 

理解してもらうためには、ただただ歩み寄る。そうすることに疑問を抱かないのが、絶対的最下層にいる人間の生き方です。

 芸術作品は自己満足の世界で作られるものではなく、価値観の違いを乗り越えてでも、相手(顧客)に理解してもらう「客観性」が求められる。このあたりの意識が欠落している人が多いと、厳しく指摘している。これは、なにも日本のアーティスト志向の人たちに限られたことではないし、「まず相手ありき」という姿勢で仕事に臨んでいるか、という観点では、多くの人々に当てはまることではないだろうか。

 

最初に問われるのは才能などではなく、自覚と覚悟になる。

 芸術一筋で他の事は何も目に入らないような弟子のことを例に挙げ、とにかく、なぜか出せば売れる、人に何かを感じさせるものを持っている・・・という具合に、一定の結果を出せる理由として、「続けている」から、と断言している。才能がありながらも去っていく人が後を絶たない中、下手でもやり続けていれば何かしらの結果が出るもの。このあたりは、アートに限らず、学問や他の仕事にも共通する部分だろう。

さらに加えると、この世界で生き残っていけるかどうかを決める要素として、「自覚」「覚悟」に加えて、「人間関係を大切に出来るか」ということを挙げている。やはり、根源的な部分が問われるわけだ。

 

ご機嫌取りの発想を持たないということはつまり、相手の感情を顧みず、自分の欲望に忠実すぎる人たちが増えているということです。

 そんな姿勢では、目の前の仕事に真剣に向かい合っているとは言えない。ご機嫌を取らないということは、社会で生きていくための最低限の適性すらないということだ。・・・これは分かっている人には当たり前の感覚かもしれないが、個人的にはとても的確な指摘だと思う。角が立たない表現にすると「ご機嫌を取るということは、お互いに気持ちよく仕事を出来る関係をつくっていくことを意味する。」ということなるが、角が立つ表現の方が何倍も説得力がある。

また、著者は、世間やクライアントのご機嫌を取るということは、芸術家としては当然のことであり、自分自身が世界の舞台で活躍出来る唯一無二の争点だとしている。そういった意味で、レディー・ガガは自分がヒエラルキーの最下層にいることを理解しているアーティストであると指摘しており、意識して彼女のパフォーマンス、言動、さらには戦略を思い返してみると、なかなか説得力がある。

 

本書は、読む人の立場や問題意識によって、印象に残るキーワードは異なってくるかもしれないが、「これはアーティストだけでなく、自分にも当てはまる。」と、身近な問題や自分自身を見つめ直すヒントを得られる一冊だ。 

 

アメトーク!読書芸人の間でも人気の一冊!! 「不道徳教育講座」(三島由紀夫著)

あの三島由紀夫のエッセイ集である。「大いにウソをつくべし」とか、「人に迷惑をかけて死ぬべし」とか「人の不幸を喜ぶべし」とか・・・まさに題名通りの内容で読者を煽りながら終始惹きつけてくれる。

 

例えば、「教師を内心バカにすべし」という項目では、学校の先生を内心バカにしないような生徒にろくな生徒はいない。・・・等と一見不道徳を勧めるかのようではあるが、実は社会における真実や世の中を渡っていく上での知恵を授けてくれる。

 

先生たちは教育しようとする、また理解しようとする。そういう職業なのだから。しかし、学生(若者)の側が、理解されようと願ったり、理解されないからと拗ねたり、反抗したりするようでは、弱さからくる甘えに他ならない、となかなか手厳しい。

一方で、気概を持つのは大事だし、ごく普通の人生や生活を軽蔑出来るのも若者の特権だと、若者を勇気づける。

 

しかし、これだけは理解しておけ、という調子で(ここは当たっていて面白いと思うのだが)先生という種族は、若者がこれから出会っていく大人の中で、最も手強くない大人である。

よって、先生をバカに出来るのは、自分はもっと手強い相手と戦っていかねばならないという覚悟のある人間である。

逆に「内心」ではなく、やたらに行動に表して、先生をバカにするような輩も(理解されないからと拗ねるのと同様)弱い甘えん坊である、と切り捨てる。

 

この項目だけ読んでみても、流石の洞察力である。また、どんどん読み進めたくなるし、読んでいて痛快である。

 

まっ、こんな感じで、ユーモアを交えながらも、社会で生き抜いていく自覚を与えてくれるお勧めの一冊であります。

 

不道徳教育講座 (角川文庫)

不道徳教育講座 (角川文庫)